"零式艦上戦闘機"・・・ 零戦の実力ってどうだったの?
この本の表題が本屋で目に留まったとき、頭に浮かんだのが、「戦争が終わって60年も経つのに、いまだにこういう本が新刊として出てくるのは何故なんだ?」ということ。
手に取って帯を見ると、”新しい視点” とある。そういや自分はなんとなく零戦は強かったなんてって思っているが、その根拠は? んー、無いな。日本人としての単なる手前味噌な思い? 幼い頭には、根拠が無いことでも容易に頭に刷り込まれてしまう。零戦が強かったという考えは正にそれじゃないか? 事実はどうなんだ? かなり強い興味が湧いた。
ところが残念なことに、近所の図書館にこの本は無かった。仕方なく自費購入。
本の前半は戦闘機自体の能力について説明し、後半は零戦の実績について述べている。
零戦が戦闘に参戦し始めた当時、航空機として零戦の能力は時代相応で、飛び抜けて優秀な航空能力を持っていた訳でもなかった。ただし火力は米国機よりも格段に劣っていた。それが著者の評価。
戦闘機も一種の道具。それを使う人間で戦果が大いに左右される。それに、機種によって低空戦が得意、その逆に高空戦が得意というような違いはあるらしく、それを活かすかそうでないかということも、戦闘の勝敗を決める大きな要素だったとのこと。
結果、総合的な戦闘能力にあまり差がなくても、ときには零戦も目覚ましい戦果を上げることができた。零戦の話をするような人達は、大概、負け戦よりも勝ち戦の話をしたがるものだから、それを聞かされた子供達の頭の中には、どうしたって「零戦は強い」という法則めいた思い込みが形成されてしまう。
戦争を、武器、兵器で語ることには違和感がある。そもそも戦争は手段にこだわるようなものではない。勝ちこそが全てだ。戦闘機には戦闘機で対抗しなければならないというルールも無い。フェアプレイ精神が求められるスポーツではないのだから。
結局日本はアメリカに負けた訳で、その理由の一番は、一般的に認識されているとおり、圧倒的なリソースの差だろう。太平洋上の会戦で一時的に勝っても、自転車操業の日本に、アメリカ本土を攻め落とす力などあろうはずも無く(隣の中国に勝つことさえできなかった)、敗戦が遅くなっただけだろう。
各会戦を個別に取り上げて、ああすれば良かった、こうすれば良かったなんて論議することには馬鹿馬鹿しさを覚える。まー人間の愚かさや無計画さ、ときには逞しさを知ることができるという意味では価値があると言えるか。
それよりも、愚かな戦争をなぜ始めたんだ? どうすれば同じような過ちを犯さないで済むんだ? という議論や検証に時間を費やす方がはるかに有意義だ。
| 固定リンク



コメント