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2008年12月27日 (土)

"ヒエログリフ解読史" ・・・ 上手い

_200w "ヒエログリフ解読史" は上手くできた本だ。面白い。

ロゼッタ・ストーンの発見とUKへ渡った経緯、ヒエログリフ解読に関わった人達の生き方と、当時の時代背景、世界情勢に焦点が合ってる。

この本を読んで初めて、この件には、UK vs フランス、トーマス・ヤング vs ジャン=フランソワ・シャンポリオン という歴史があると知った。著者は、その歴史を広い視野と冷静な目、寛容な態度で捕らえ、怨念を含んだ内容になることを避けている。

Rosettastone_trimed200square ヒエログリフは、パッと見、昔の定説どおり、儀式的で神聖な、特別な記号のようだ。事実は、ヤングやシャンポリオンの研究によって、表意文字というだけでなく、表音文字として機能することが明らかにになる。そして、シャンポリオンが発見した「決定詞」の利用というユニークな文法が解明されて、やっとヒエログリフの正確な解釈が可能となった。

本書を読んで、ヤングとシャンポリオンという2人の天才に感心。ヤングって、光の干渉を実験した、あのヤングなんだねー。そんな人がこんなとこで活躍してたなんて。一方のシャンポリオンは完全に天才バイリンガル。ヘブライ語やアラビア語といった言語に加え、中国語まで10代に学んでいる。凄い。だからこそ、ヒエログリフを解読する発想が生まれたのかもしれない。

この本って、こんなもんかなー?

 知性刺激度    ★★★☆☆

 難解度       ★☆☆☆☆

 社会改善志向   ★★☆☆☆

 娯楽度       ★★★☆☆

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2008年12月21日 (日)

“国境を越えた医師” ・・・ 買いたいけど買えない

_200w 知人から薦められ、“国境を越えた医師” を図書館で見付けて読んだ。

この “国境を越える医師” は、不公平と感染症に苦しむ人々と、それと戦う医師とその仲間の姿を記している。医師の中心はポール・ファーマーという卓越した技能と魅力ある人物。敵は感染症と不公平だけではない。出資を拒む官僚主義や効率主義、既得権。ポールを中心として活動する、ジム、オフォーリア等の熱意溢れる人物達も登場して、活動を展開していく。

著者は、度々これらの人物達と行動を共にし、数々の感動的な場面に立ち会う。一方、逞しい人達の姿やユーモラスな場面もあり、それらが本の中で上手くアレンジされている。それ故、読み出すと一気に読めてしまう。

しかし読みながら、ふと気付く。この本を、単に英雄的人物伝、感動を誘うノンフィクションとして読むことは間違っているということに。ポールは、不公平とそれに知らぬ顔の社会に対する怒りをしばしばぶちまけている。本書の原題は “Mountains Beyond Mountains”。これは、言葉どおり僻地を表すようだが、更に、そこにある悲惨さも暗示している。著者は、本書を英雄伝的ストーリーとして構成しつつも、ポールの思いを汲み取り、社会に対して、その悲惨な状況を伝えようと意図しているのだろう。残念ながら、日本語タイトルは、英雄伝の様相を前面に出したものだが。

こりゃ買わなきゃ、と思って本屋へ行ってみると、"国境を越えた医師" が無い。数あるネットショップサイトを調べてみる・・・全て出版元での在庫確認必要となってる。そこで出版元の小学館プロダクションサイトを見てみる・・・在庫が無い。

結局、あるのはamazonの中古本のみ。せっかく面白い本だから、わずかな額ながらも印税として著者へお礼がしたい。中古ではそれが出来ない。それに中古の値段にビックリ。本の裏表紙に印刷されてる値段は税込みで1,890円なのに、中古は4,993円以上。完全に足下見てる値段。

この本って、こんなもんかなー?

 知性刺激度    ★☆☆☆☆

 難解度       ★☆☆☆☆

 社会改善志向   ★★★★☆

 娯楽度       ★★★★☆

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2008年12月14日 (日)

"五〇〇億ドルでできること" ・・・ 表紙の絵とタイトルに騙された

500_200w 表紙の印象もそうだが、“五〇〇億ドルでできること” (算用数字を使って “500” の方が、キーボードで打ち易いのになー)というタイトルからは、“愛” というか、”人類愛” みたいなものを感じてしまう。

この本は、“世界金融危機はなぜ起こったか” と一緒に図書館の新着書棚に並んでいて、その “愛” らしきものに惹かれて借りてしまった。でも読み出すと、いきなり「割引率」っていう言葉でつまづいてしまう。(ネットで調べて意味は分かったが・・・)タイトルの印象とは全く異なり、中味は経済のプロどうしが会議で話し合った内容の和訳。正に和訳。解説は皆無。書かれてることが素人の読み手に実感として伝わってこない。

そもそも訳してる人も理解して書いてるんだろうか? 疑う。分かり辛い文章にぶつかって繰り返しその文章を読むと、「あー、この副詞はこっちにかかってるのか。とすると、この言葉は、そこじゃなくて、ここに置いた方が、読み手に意味が伝わり易いのになー。句読点も直した方が良さそう。」なんて思えることが多々ある。

そもそも発行時期がまずい。原作は2006年で、中味のネタ元は2004年のコペンハーゲン・コンセンサスっていう会議。それが今頃出版ってのは、時間的に遅過ぎ。しかも、昨今の世界的金融危機で、経済環境はその会議が行われたときと大きく変わってしまった。せめてサブプライム問題発覚前、原作と同じ2006年じゅうに出版されるべきだった。

それに、地球温暖化を比較的軽く扱っている。生物多様性への考慮も欠如してる気がする。まー科学者達が地球温暖化を深刻に受け止め、それをIPCC第4次評価報告書としてまとめたのが2007年だから、それはしょうがないか。

肝心の本の中味だが、コペンハーゲン・コンセンサスは、感染症対策にお金を使うのが一番費用対効果(本の中でっは、経済学用語で、”費用便益比率” と言う)が大きくて優先度が高いとのこと。

この本って、こんなもんかなー?

 知性刺激度    ★☆☆☆☆

 難解度       ★★★☆☆

 社会改善志向   ★★★☆☆

 娯楽度       ☆☆☆☆☆

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2008年12月13日 (土)

"世界金融危機はなぜ起こったか" ・・・ 面白いし勉強になる

_200w 近所の図書館に寄ってみると、新着図書として並んでいた、この "世界金融危機はなぜ起こったか" が目に留まった。

借りて読み出すとなかなか面白い。本のタイトルどおり、世界金融がどういうい経緯で今に至ったのか、およそ分かる。(ただし、今回の金融危機の一因である住宅価格下落が始まったメカニズムについての説明は無かったように思う。)

本書は、世界経済を扱うだけあって、カタカナとアルファベット多い。それに、それらの外来語を説明無しに使ってるケースがまた多い。

しかし筆者の書き方は高飛車なところがなく、むしろ読み手に、分からない言葉は自分で調べてみるか、というい気にさせる。この本を読んでいる間は、パソコンを立ち上げ、Excel(エクセル)で経済用語リストを作りながらってことになった。本を読み切ったときには、用語リストの言葉が200を超えた。欧米人が創出したグローバル経済の中から抜け出すことはありえないのだから、一般人もある程度カタカナ経済用語を身に付けるべきだろう。

世界GDPの総計がおよそ60兆$。これに対し金融資産総額は2京$超。実態経済の3倍以上の金融資産が、収益を上げようと日夜うごめいている。そして、それら金融資産で最も影響力を持つのは山師達というより年金等の堅実な安定運用を目指す機関投資家達なのだから、今のバブル経済という病の起源を特定の組織や個人に押し付けることは難しい。

我々は、その実状から目をそらさず、既に存在している巨大な金融資産とどう上手く付き合うべきか考えていかねばならない。

なお、以前にも金融関係の本を読んだが、その著者はどんどん新しい金融商品やビジネスモデルを開発実践し、金融資産を増大していくアメリカへの羨望を溢れんばかりに発散していた。大きな違和感を覚えたものだが、今回読んだ本の著者には共感するところが多い。

この本って、こんなもんかなー?

 知性刺激度    ★★★★☆

 難解度       ★★★☆☆

 社会改善志向   ★★★★☆

 娯楽度       ★★☆☆☆

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2008年12月 6日 (土)

最近の違和感ある言葉 "100年に一度の金融危機"

近頃頻繁にテレビニュースで聞く言葉 "100年に一度の金融危機"。

米国の元FRB議長グリーン・スパン氏が口にした「100年に一度の信用の津波」から来ているらしい。

"100年に一度" というところに違和感あり。今の金融問題を天災のように受け取っている言葉。おかしくないか? 金融界の誤った施策が招いた人災なのに。そして、その施策の中心にいた人間が人ごとのように述べた言葉だぞ。

金融界で、希薄な担保で価値を仮想的に拡大していくレバレッジ手法が大手を振るい、総価値に占める仮想比が巨大なままである限り、悪意やちょっとした間違いが大きな災厄へ発展することは当たり前だと思える。

報道は、"100年に一度の金融危機" という言葉を何の疑いも無く使っているように感じる。

総理もこの言葉をよく口にする。でもまー、しょせん漫画大臣だから、それは大目に見るしかないか。

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2008年12月 4日 (木)

"宇宙旅行はエレベーターで" ・・・宇宙太陽光発電の実現は近い?

_200w 1ヶ月くらい前だったか、テレビニュースが宇宙エレベータを話題にしていた。そして、10日ほど前には新聞でも取り上げていた。

宇宙エレベーターと聞いて考えるのが宇宙空間での太陽光発電。無尽蔵の太陽エネルギーを高効率で利用できる。それが建設可能になる?と期待が高まる。数十年前から提唱されながらも、莫大な建設費が予想され、夢でしかなかった。

そういえば、春に宇宙エレベーター関係の本が本屋で平積みされていたなー。ということで図書館へ行ってみると、あったあった、本屋で見掛けた本が。タイトルは ”宇宙旅行はエレベーターで”。

読み出すと、説明が平易なので一気に読めてしまった。

一番感心したのが、軌道を10万kmばかりの長さにすると、重力と遠心力がバランスして、特別な支持機構は要らなくなるってこと。なるほど面白い。ただしそれだけ長い軌道は高強度かつ軽い材料が必要で、それがカーボンナノチューブ(以下CNT)ということらしい。CNTの強度は理論上鋼鉄の400倍というから凄い。

著者は、宇宙エレベーターを建設するかどうかはお金の問題で、技術的障害は皆無と読者に思わせる。月旅行、火星旅行、それらの地での長期滞在さえも簡単にできると説明し、宇宙エレベーター建設を後押ししようと読者へ呼び掛けている。ひたすらセールストークの連続。建設費を1~2兆円規模と推測し、建設した国、企業、あるいは個人が世界の覇権を握ることになるとまで言っている。その金額ならば、だれか、あるいは支配欲ある国家が実行してもおかしくなさそう。

事故の想定は当然として、テロの標的となる可能性も論じている点はまあ頂だける。ただし、機関銃のごときセールストークはかえって用心を誘う。私としては著者の意見に100%賛同する気にはなれない。

先ず、人間は無重力や低重力に適応した身体にはなっていない。短期間で地球へ帰ってくればさほどの負担無く地球生活へ復帰できるかもしれないが、長期は相応の体力を要するだろう。それに人間の身体は細菌や微生物、多種多様な生物や物質にさらされた環境に適応したものだ。人体は、重力下で骨格や筋肉をバランスさせながら成長し、免疫機能を発達させていく。地球外での人間の生活については時間を掛けて研究しなければならないと思う。宇宙で長期滞在し世代を重ねるという話は容易に口に出来ることではないだろう。

宇宙エレベーターそのものには反対しない。ただし宇宙旅行を主体に考えているということに違和感がある。確かに自由主義経済世界の中では、一般市民でさえ宇宙に行けそうだという雰囲気を醸成し、エレベーターが儲かりそうだと資本家に思わせ、建設への投資インセンティブを誘発することは、建設推進派にとっては有効だ。しかし宇宙利用の本筋は、公共利用だと思う。著者の主張は、少々勇み足と感じる。

なお著者は、本刊行当時(2006年?)は、宇宙エレベーターのコア技術であるCNTの長繊維化が実現できていないことを認めている。

それから気になったのが、クルーザー(人と物が乗る箱)への動力供給方法。レーザーを地上から、クルーザーに太陽電池パネルを設置してそれに向かって地上からレーザービームを勝者するというもの。大丈夫かな? クルーザー運転時には軌道であるCNTの脇を常時レーザービームが飛んでいることになる。ビームの向きを誤ればCNTを燃やしてしまわないか?

で、冒頭の宇宙太陽光発電についてだが、本書もこれに言及している。しかし、ほんの1,2ページ。というか、宇宙エレベーターが実現すれば大規模な太陽光発電施設を宇宙空間に建設してそこから電力を地上へ送ることになるのは当然といった口調。いかにも簡単という感じ。

宇宙空間での太陽光発電を実現する上での障害は建設費だけではない。地上への送電方法もポイントだったはず。以前読んだ宇宙太陽光発電関係の本ではマイクロ波の利用が一番の候補と言いながら、高エネルギー電磁波を地上へ照射することの危険性に言及していた。

本書 “宇宙エレベーター” が導電性のCNTを使うということから、もしかして送電は危険な無線方式ではなく有線方式が可能? と思ったりしたが、さすがにに距離によるロスが大き過ぎてCNTを送電に利用することは無理らしい。まー、それがクルーザーへの電力供給として著者がレーザービーム方式を提唱している理由でもあるが・・・残念。

でもまー、もしもクルーザーへの電力供給をレーザービームで可能なくらい正確なビーム制御が可能なら、宇宙から地上へのレーザービーム照射だって簡単だろうけど。

なお、前記した新聞の記事によると、最近英国ケンブリッジ大学がCNTをいくらでも長く製造(長繊維化)できるようになったと発表したとのこと。

この本って、こんなもんかなー?

 知性刺激度    ★★★★☆

 難解度       ★☆☆☆☆

 社会改善志向   ★★☆☆☆

 娯楽度       ★★★☆☆

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2008年12月 3日 (水)

"生命と非生命のあいだ" ・・・生命って、もっとシンプルであっても良いのでは?

_200w地球上の生物がどんなものか解明されるにつれ、なぜそんなにも複雑になっているんだろう? 生物が持つ機能を別のもっと単純な形で実現できるのでは? 今の生物って無駄が多過ぎるのであって、もっと合理的でシンプルな生物が成立してもおかしくないのでは? という疑問が湧いてくる。

生命と非生命のあいだ” は、この私の疑問に大いに関与した内容。本の中に100%の答えがある訳じゃない。でも、科学者達が同じような疑問を抱き、日々研究しているということが、概略的な具体例によって紹介されている。頼もしいことだ。

C, H, O, N を中心とし地球生命だけでなく、他の可能性も論じれられている。ただ、そういう可能性について触れながらも、今目の前にある地球生命の起源でさえ解明できていないこと、人口的に複雑な細胞を作ることができていない現状から、生命の究明は、今後も人間の好奇心そそり、知性を試すフィールドであり続けることを読者へ印象づける。

文章は、現在の生物学の硬直的?思考に反発的で、本全体としても挑発的記述(or茶目っ気?)が多い。そういうところに不愉快さを憶える場面はあるが、かわいい、と言える程度。

去年、タイトルが酷似した “生物と無生物のあいだ” という本(以下 “生物”)を読んだ。”生物” は、わずかな科学的内容を文学的美文をちりばめることで粉飾し、その記述方法に自己陶酔する筆者に付き合わされるという本で、そのメインテーマは生物学会内情への批判だった。今回読んだ “生命と非生命のあいだ” (以下 “生命”)も 学会への批判が盛り込まれている点では同じだが、科学的探究の比重が圧倒的。つまり、”生物” はタイトル負けしていて、”生命” はタイトル相応。

”生命” の最後の章で、筆者は「古生物学者を火星へ、生化学者をタイタンに送ろう」と主張している。これは間違いなく莫大な費用が掛かる行為。ただし筆者は、人類として取り組むべき他の優先事項があるが、という気持ちを覗かせるバランス感覚を持っている。一方、ある人物を引き合いに出し、その世界での一番でありたいという名声への執着心の余り、自らの研究への財源獲得へ猛進し、社会のことは顧みずという科学者についての記述があったりする。笑える。

この本って、こんなもんかなー?

 知性刺激度    ★★★★☆

 難解度       ★★☆☆☆

 社会改善志向   ★★☆☆☆

 娯楽度       ★★☆☆☆

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