2010年1月 3日 (日)

"零式艦上戦闘機"・・・ 零戦の実力ってどうだったの?

_200w 去年の話になってしまった。

この本の表題が本屋で目に留まったとき、頭に浮かんだのが、「戦争が終わって60年も経つのに、いまだにこういう本が新刊として出てくるのは何故なんだ?」ということ。

手に取って帯を見ると、”新しい視点” とある。そういや自分はなんとなく零戦は強かったなんてって思っているが、その根拠は? んー、無いな。日本人としての単なる手前味噌な思い? 幼い頭には、根拠が無いことでも容易に頭に刷り込まれてしまう。零戦が強かったという考えは正にそれじゃないか? 事実はどうなんだ? かなり強い興味が湧いた。

ところが残念なことに、近所の図書館にこの本は無かった。仕方なく自費購入。

本の前半は戦闘機自体の能力について説明し、後半は零戦の実績について述べている。

零戦が戦闘に参戦し始めた当時、航空機として零戦の能力は時代相応で、飛び抜けて優秀な航空能力を持っていた訳でもなかった。ただし火力は米国機よりも格段に劣っていた。それが著者の評価。

戦闘機も一種の道具。それを使う人間で戦果が大いに左右される。それに、機種によって低空戦が得意、その逆に高空戦が得意というような違いはあるらしく、それを活かすかそうでないかということも、戦闘の勝敗を決める大きな要素だったとのこと。

結果、総合的な戦闘能力にあまり差がなくても、ときには零戦も目覚ましい戦果を上げることができた。零戦の話をするような人達は、大概、負け戦よりも勝ち戦の話をしたがるものだから、それを聞かされた子供達の頭の中には、どうしたって「零戦は強い」という法則めいた思い込みが形成されてしまう。

戦争を、武器、兵器で語ることには違和感がある。そもそも戦争は手段にこだわるようなものではない。勝ちこそが全てだ。戦闘機には戦闘機で対抗しなければならないというルールも無い。フェアプレイ精神が求められるスポーツではないのだから。

結局日本はアメリカに負けた訳で、その理由の一番は、一般的に認識されているとおり、圧倒的なリソースの差だろう。太平洋上の会戦で一時的に勝っても、自転車操業の日本に、アメリカ本土を攻め落とす力などあろうはずも無く(隣の中国に勝つことさえできなかった)、敗戦が遅くなっただけだろう。

各会戦を個別に取り上げて、ああすれば良かった、こうすれば良かったなんて論議することには馬鹿馬鹿しさを覚える。まー人間の愚かさや無計画さ、ときには逞しさを知ることができるという意味では価値があると言えるか。

それよりも、愚かな戦争をなぜ始めたんだ? どうすれば同じような過ちを犯さないで済むんだ? という議論や検証に時間を費やす方がはるかに有意義だ。

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2009年10月 2日 (金)

"ユダヤ人を救った動物園"・・・ 人間って、捨てたものじゃない

_200w

原題 "The Zookeeper's Wife" が示すとおり、本の内容は、動物園園長夫妻の物語というよりも、園長夫人の物語。

夫人の名はアントニーナ。人間だけだなく、動物との共感能力にかなり長けた人物だったようで、彼女が、動物の仕草とその意味、気持ち、適応能力を語る部分は興味深く、かつ面白い。

園長であるヤンの記述もそれなりある。アントニーナの、家族や身近な人々への強い思い、それとは対照的に、社会への責任、不正への怒りが伝わってくるヤンの言動。正に女性と男性の違いそのものだ。

ナチのユダヤ人根絶志向、全ての生物のドイツ化にはおぞましさを感じずにはいられない。

一方、ポーランドの1割以上もの非ユダヤ人が、自分達の命をも危険に曝すと知りながら、ユダヤ人を救うために行動していたということに驚くと共に、人間も捨てたものじゃないと思った。

この本って、こんなもんかなー?

 知性刺激度    ★★☆☆☆

 難解度       ★☆☆☆☆

 社会改善志向   ★★★★★

 娯楽度       ★★★☆☆

 買う価値      ★★★★☆

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鞆の浦 埋め立て工事停止判決

生活の豊かさとは何かを考えさせられる話題だ。

工事停止の判決を聞いた工事推進派の住民が記者団に対して述べた「住民の生活を全く考慮していない。」というのが、図らずも問題のポイントを象徴している。

先日NHKで観た、‘世界ふれあい街歩き' を思い出した。
イタリア アマルフィの狭くて急な階段を何十キロもの重いテーブルをかかえて登る、決して若くない家具職人の姿があった。弱音を吐かず、その仕事に対する誇りを語っていた。
老婦人が買い物袋をかかえ、途中、何度か休憩しながらやはり急斜面の上にある自宅を目指していた。車なんて行けない場所に住んでいる。しかし、登りきった山肌にある住居から海と街を眺めている様子は、その生活をいとおしんでいることは明らかだった。

程度を越えた不便さは改善していくべきだが、埋め立てという手法でしか実現できないのだろうか? 他に方法がありそうな気がする。コミュニティの力が必要だろう。

今、有害なくらいに便利さを求める傾向、都会的生活環境を求める均一的志向がはびこり過ぎているように思えてしかたない。

実際に鞆の浦に行ったことがある訳ではないから、どの程度の文化的価値があるのか分からないが、不便さを埋め合わせる以上の価値を住民が見いだすことはできないのだろうか?

今回の判決がテレビで報道されている様子を見てそんな風に思った。

今日、朝日新聞で、この話題に関連する記事を読むと、おっ、アマルフィを引用していた。そうだろ、そうだろ。

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2009年9月27日 (日)

“46年目の光”・・・ ただの感動本ではないところがいい

46_200w 自然と目を惹くタイトルだ。そこには、いかにも「感動をお届けます」と伝えようとする商業的意図を感じる程だ。

しかし一方、40年ぶりに視覚を取り戻した人間は見えるものをどう感じ、心身のバランスはどうなるのだろう?その後の生活はどうなるのだろう?という好奇心を引き起こす。この前 ”ミラーニューロン” を読んで、人間の脳の働きについて少し知り、その視点が、興味をかきたてた。

読んでみると、果たして、ただの感動物語ではなかった。科学的内容が盛りこんである。「物を見る」または「視覚」という言葉が、どこまでの意味を含むのか考えさせられた。

改めて考えると、目に入る光がもたらす情報は膨大である。にも関わらず、視覚健常者は視界にある物体の色、形からそれが何で、その大きさやそこまでの距離を一瞬にして把握する。それは目の仕事ではなく脳の仕事なのだ。そして脳は実生活で身体が受ける信号から学んでこそ、それを無意識に働く能力まで高めてゆく。

40年間も脳にその学習の機会を与えないと、その能力は退廃してしまうのだ。従って、目に入る信号を脳に届けることができるようになったからといって、健常者のように世界を見ることはできない。それどころか、健常者の脳が無意識に行っている仕事を意識しなければできない。健常者の脳の中では、とてつもなく優れたマルチタスク処理が無意識に働いている。人間が意識してできるのはせいぜい2,3の処理だ。とても健常者のマルチタスクには太刀打ちできない。その処理を意識して実行しようとすると、それ以外のことは何も考えられなくなる。

その状況を想像すると恐ろしい。もしも自分だったらそのストレスに耐えられるとは思えない。事実、この本の主人公であるマイク・メイ以前に視覚をとりもどした人は、ほぼ例外なくそのストレスに打ち負かされ鬱になってしまったらしい。

マイク・メイの場合、視覚を取り戻した最初の1年間は、やはりそのストレスにさいなまれたものの、目から入る情報とそれ以外の感覚から得られる情報を結びつけて見える物を認識する手法を編み出し、ストレスをかなり低減できたという。

体当たりの人生観と根性で生きてきた主人公だからこそできたのだ、という本の最後は、しっかり感動ノンフィクション。

この本って、こんなもんかなー?

 知性刺激度    ★★★☆☆

 難解度       ★☆☆☆☆

 社会改善志向   ★★☆☆☆

 娯楽度       ★★★☆☆

 買う価値      ★★★☆☆

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2009年9月23日 (水)

“日本語は論理的である”・・・ まったくだ

_200w 痛快。一気に読めた。

本屋でこの本のタイトルが目に留まったとき、「日本語は非論理的」という言質を聞いた記憶が蘇った。面白そう。さっそく近所の図書館で借りてきた。

読み始めると・・・色んな人達が、主語が無いことを非論理的と受け取る根拠としていたらしい。「そんなくだらないことで? 主語なんて省略できるから省略してるだけなのに?」と率直に思った。

でもそういう私の理解はあまりにド素人だった。

月本氏は、ちゃんと記号論理学(形式論理学)を使って、日本語が論理的であることを分かり易く説明してくれる。

英語等の欧米言語が ‘主体の論理’(述語論理)がメジャーであるのに対し、日本語は ‘容器(空間)の論理’(命題論理)がメジャーであるということに納得。

どうしてこの理屈が一般に広まっていないんだ? 月本氏のように理系人間だからできたってこと? でも記号論理ってそんなに難しくないじゃない。文系の言語学者さん達が怠慢してたってこと?

そして本の後半がイイ。読んでてスカッとする。

内容は、日本語の実態に合わない文法と感動を強要する国語教育への批判。まったくだ。私もそういう国語が大嫌いだった。あれは国語じゃなくて文芸教育だろ。

それから、月本氏は小学生の英語教育にも反対。浅はかな連中ほど英語を早く学ばせようと言ってることに私も常々憤りを感じていたが、月本氏は、反対理由を科学的に説明してくれる。

この本って、こんなもんかなー?

 知性刺激度    ★★★★☆

 難解度       ★☆☆☆☆

 社会改善志向   ★★★★☆

 娯楽度       ★★★★☆

 買う価値      ★★★★★

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2009年9月22日 (火)

“印象派はこうして世界を征服した”・・・ 商人の視点でとらえた印象派絵画の歴史

_200w 真実としては、美をお金に換算することは難しい。でも、金銭で取引される限り値段が付く。それも高額で取引されるものがあり、その代表格が印象派絵画だ。

有り余るお金を持っている人間は、いくら高価でも手に入れようとするし、値上がりを見込んで投機対象とみなす人間も多額のお金を投じて購入しようとする。美に惹かれるというより、ステータスシンポルとして求める人間もいる。そしてそこにつけいる商売人。絵画がいかに価値があるのか、あの手この手で売り込む。

いずれも容易に想像できる話。

今でこそ印象派絵画は、誰もが優れた美術品だと認め、安定した金銭価値で取引きされるようになっているが、19世紀後半、生まれたばかりのそれは、異端と目された、保守的な人々から激しい攻撃を受けた。この本は、その時代から今日までの印象派絵画取引きの歴史を総括している。

読んでいると、どうしても證券の売買で短期利益を追求する金融機関を連想してしまう。

最初は異端で後に高額で取引きされる投機対象となる、という歴史は印象派以降のモダニスム絵画全般に言えるらしい。やってることに進歩ないなー人間って。

なお著者は、破格の値がつくようになったオークションシステムが確率された近年の歴史への言及よりも、19世紀末と20世紀前半、印象派絵画に対する欧米各国の態度の違いを述べることに多くのページを費やしている。当時の各国の情勢が分かっていなければ理解できない部分であり、それを説明しているところにこの本の価値がある。

この本って、こんなもんかなー?

 知性刺激度    ★★☆☆☆

 難解度       ★☆☆☆☆

 社会改善志向   ★★☆☆☆

 娯楽度       ★☆☆☆☆

 買う価値      ★★☆☆☆

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2009年9月21日 (月)

"ルポ資源大陸アフリカ"・・・ よくやった、日本人による アフリカ ルポルタージュ

_200w_3 ジャーナリストである著者自信が嘆いているように、紛争と貧困に苦しむアフリカの実状を日本に伝える報道は非常に少ない。著者自身がアフリカの危険な現場へ赴き集めた情報をまとめたこの本は貴重な1冊だ。これを日本人がやったことに意外性を感じながらもうれしいと感じた。

述べられている内容は悲惨だ。

窃盗と人身売買を正当化してしまう南アフリカの格差。

ナイジェリアで、石油資源で私腹を肥やす官僚がいる一方、油田の脇で、電気も無く石油開発による公害に苦しむ住民。

泥まみれになって集めた砂金を武装集団に売って生活するコンゴの人々。

何百万人もの難民を生み出しているスーダンの紛争を支える資金源は、日本も輸入している石油だ。

全く終わりが見えない無政府の国ソマリア。

新聞やテレビの断片的報道では伺え知れない、アフリカ人達の生の姿がそこにある。それを、我々日本人はもっと知るべきだ。

この本って、こんなもんかなー?

 知性刺激度    ★☆☆☆☆

 難解度       ★☆☆☆☆

 社会改善志向   ★★★★★

 娯楽度       ☆☆☆☆☆

 買う価値      ★★★★☆

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"万物を駆動する四つの法則"・・・ ちょっと復習

_200w_2 学生時代に習ったことを復習。情けないことに、熱力学をほとんど忘れてしまってた。

副題の「熱力学を究める」というのは言い過ぎかな。

一方、ヘルムホルツ・エネルギーとかギブズ・エネルギー、マイナス絶対温度の話になると、ちょっと頭の中を整理しないと理解できなくなってくる部分があって新鮮な面白さがある。

この本って、こんなもんかなー?

 知性刺激度    ★★★★☆

 難解度       ★★★☆☆

 社会改善志向   ★☆☆☆☆

 娯楽度       ★★☆☆☆

 買う価値      ★★★★☆

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"そして戦争は終わらない"・・・ 戦場から戦争の空しさを訴える

_200w 戦争の無意味さを実感させてくれる本だ。

人は、生きるか死ぬかの選択を迫られる極限の状況下では狂人となってしまう。戦争は、しょせん弱さを持った人の行為。必ず間違いが起こる。そしてその間違いはほぼ確実に人の死を意味する。「正義のための戦争」と言われる戦争も、戦場では正義は二の次となるか、忘れ去られる。

9.11以前のアフガニスタン、タリバンと武装勢力がについての記述には驚いた。戦争は狂信者ばかりが行っているのではない。生き残ることが第一であり、敵側が優位と見るや、簡単にその勢力へ身を翻す男達が多く、当事者達はそれに全く違和感を抱いていないという。現在は多少状況が変化したかもしれないが、戦争と紛争が20年以上も続くアフガニスタンは、そういう生き方が当たり前になっているかもしれないと思うと恐ろしい。

この本は色々と教えてくれる。

早期に成果を上げなければならないという目的のために御都合主義がまかり通り、不正を隠そうとする米軍の実態への言及。

米国を手玉にとっているとも思えるしたたかさで、フセイン打倒とイラク攻撃推進に一役買ったイラク政治家の話。

本心が読み取れない住民の声。

それから市街戦の難しさ。銃を隠されてしまえば、一般市民と見分けがつかない相手が敵なのだ。住民がいない野原や海で戦うのとは訳が違う。

忘れてはならないのはイスラムの教義だ。イスラム教の教義は人権(つまり人命)よりも神を尊重し、神の教えを広めるために他宗教を打ち負かすことを教えの一部としている。よって、ムスリムに狂信者がいる限り、この種の戦争を無くすことは容易ではない。

今回改めて思った。こういう特殊な世界を教えてくれるのは、やはり海外ジャーナリスだ。

この本って、こんなもんかなー?

 知性刺激度    ★★☆☆☆

 難解度       ★☆☆☆☆

 社会改善志向   ★★★★★

 娯楽度       ★☆☆☆☆

 買う価値      ★★★★☆

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2009年9月 5日 (土)

"パロール・ドネ" ・・・ 無謀な読書

_200w 難解。私のような人類学の門外漢が読んでもサッパリ。ひたすらナゾナゾにトライしているような気持ちで読み進めた。同じ文章を何度読み返したことだろう。

本の始めに出てくるトーテミズムの部分はまだ少しは分かった気にもなるが、中程のリネージや氏族の話になるとお手上げ。

引用されている論文が非常に多く、その論文を知っていないと話についていけない。本の内容を理解しようなんてことは無謀。途中、かなり飛ばしてしまった。

この本は人類学を勉強している人が、クロード・レヴィ=ストロースという人類学界の巨人(らしい)が進めた理論構築の歴史を知りたい、その空気を感じたいというときに読む本だ。

ちょっと疑問を感じたことがある。レヴィ=ストロースという人はフィールドワークの経験がほとんど無さそう。人が調べたこと、フィールドからの演繹に執心した学者だったようだ。物理学が理論物理学と実験物理額があるように、人類学にも理論と現場という棲み分けみたいなものがあるのだろうか。

この本が人類学の範疇全て言及している訳ではないのだろうが、人類学とは、古来から社会が血縁と結婚を中心テーマとして争いを包含しながら安定を目指してきた歴史を解明する学問ってことかなーという印象を抱いた。血族、氏族の安定を望む一方で、近親相姦を一定の範囲で避けるるよう人類が心血を注いできたことが読み取れる。

この本って、こんなもんかなー?

 知性刺激度    ★★★☆☆

 難解度       ★★★★★

 社会改善志向   ★☆☆☆☆

 娯楽度       ★☆☆☆☆

 買う価値      ★☆☆☆☆  私にとっては、馬の耳に念仏。

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